HISTORY
沿革
1950 年代
日本経済が復興から成長期に入った1950年代、当社の鉄道工事は奥羽本線、紀勢線、飯田線、土讃線など、全国に拡大していきました。また建築工事では各地の鉄道管理局庁舎や駅舎を手がけるとともに、全国の国鉄職員宿舎、鉄道病院・診療所などを特命工事として受注し繁忙を極めました。さらに、これらの工事で培った実績を基に日本住宅公団のアパートや鉄道技術研究所の建設などを手がけました。
この他、土木部門では、佐久間ダム建設に伴う飯田線付替工事という難関プロジェクトを早期完成させ十河国鉄総裁より感謝状を授与されました。都市では国鉄四ツ谷駅を横断する部分の営団地下鉄丸の内線の工事などにも参画しました。
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飯田線天竜・大嵐間線路付替峯隧道(静岡県磐田郡) -
営団地下鉄丸ノ内線四ッ谷駅工区(東京都新宿区) -
鉄道技術研究所[現鉄道総合技術研究所](東京都国分寺市)
1950年5月 | 第三代社長小林紫朗就任
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1951年2月 | 第四代社長平井喜久松就任
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1953年5月 | 営業種目を「土木建築工事の施工並びに測量、設計、監理」及び「工事用資材の製造、販売及び運搬」と改める |
1953年6月 | 第四代社長平井喜久松が第41代土木学会会長に就任 |
1955年10月 | 第五代社長稲葉通彦就任
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1956年3月 | 千代田共栄株式会社を設立 |