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機電
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右も左もわからない
ところから21年

機電

瀧本 博文

2001年入社 / 工学部 機械工学科

入社を決めたきっかけ

「もの」をつくる仕事に就きたいと思い就職活動を始めました。
就職活動をおこなっている中、研究室の教授から、「鉄建建設どうだ?」と助言をいただき、どうせなら「後世に残るもの」をつくる仕事をしようと思い鉄建建設(建設業)へ入社しました。

現在の仕事

本社 土木本部 機電部の一員(課長)として「技術研究開発」・「現場支援」・「人材育成」を部門の目標に掲げて活動しています。

「技術研究開発」について
特許等の技術開発に向けたワーキンググループを立ち上げ日々、勉強や検討・議論を重ねています。
また、生産性向上に向けた技術開発にも取り組んでいます。

「現場支援」について
現場初期段階での施工計画(仮設備計画)や機材の調達支援をおこない、現場の負担を軽減しています。また、直接現場に出て仮設備設置等の支援をおこなうこともあります。

「人材育成」について
現場に配属されている若手機電社員からの相談にのったり、フォロー・アドバイスをしています。
また、継続的な人材確保を目的として母校やその他大学へのリクルート活動もおこなっています。

挑戦したこと、大変だったこと

2011年の東日本大震災のとき、私は青森県で仕事をしていました。
震災の影響でライフラインや交通網等色々なものが壊れて使えなくなってしまったのは皆さんご存じの通りだと思います。その中、震災の翌日には盛岡に移動して壊れた東北新幹線の橋脚の復旧工事に従事しました。
復旧工事は近隣住民の方々の承諾を得て昼夜2交代の24時間体制でおこなわれました。復旧工事は順調に進み、あともう少しで復旧工事を完了するところだったのですが、4/7の震度6強の余震で復旧をおこなった箇所のコンクリートが全て破壊されてしまい、また、その壊れたコンクリートを撤去してコンクリートを打ち直さなければならなかったことが大変であったと記憶に残っています。

CAREER MAP

キャリアパス

入社1年目 1st year
右も左もわからない
現場勤務

広島支店に配属され現場勤務、機械工学科卒から土木工事現場へ。
右も左も「もの」の名前(専門用語)さえもわからず毎日悪戦苦闘していました。

入社9年目 9th year
初めての転勤、
初めての監理技術者

初めての転勤で東北支店へ。
東北支店に異動した最初の現場で初めての監理技術者になり責任重大なプレッシャーを受けながら現場を進めていましたが、今までの工事経験がいかされ無事に工事を終えることができました。
しかし、厳しい冬の寒さに慣れず季節の変わり目には何度も風邪気味になってしまいました。

現在 NOW
本社の管理部門
(土木本部 機電部)として

入社18年目から本社の管理部門(土木本部 機電部)に異動となり、機電部の目標である技術研究開発、現場支援、人材育成を柱に機電部の活動を行いました。本社勤務になり現場では経験したことのないさまざまな経験や人脈形成をすることができました。

これから FUTURE
これからも後世に残る
「もの」をつくっていきたい。

今までの経験を糧にして現場の作業所長となり、後世に残るさまざまな「もの」をつくることを続けていきたいです。

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人をつなぐ、街を結ぶ、未来へ延びる。