会社のあゆみ・沿革

会社のあゆみ

鉄建建設の創立から現在までのあゆみを、当時の写真と併せてご紹介いたします。
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沿革

草創期

  • 1944年 2月鉄道建設興業株式会社を設立、営業種目を「鉄道工事の施工、測量、設計、監理」とする
  • 1944年 5月大阪支店、札幌支店開設
  • 1945年 1月福岡支店開設(1990年4月 九州支店と改称)
  • 1946年 4月盛岡支店開設(1967年10月 仙台支店、1990年4月 東北支店と改称)
  • 1947年 10月名古屋支店開設
  • 1947年 11月東京支店開設
  • 1949年 10月建設業法による建設大臣登録(イ)第365号の登録完了(以後2年ごとに登録更新)

整備期

  • 1953年 5月営業種目を「土木建築工事の施工並びに測量、設計、監理」及び「工事用資材の製造、販売及び運搬」と改める

拡大期

  • 1956年 3月千代田共栄株式会社を設立

成長期

  • 1961年 10月株式を東京証券取引所第2部に上場
  • 1962年 12月株式を大阪証券取引所第2部に上場
  • 1963年 5月営業種目に「土地、建物の売買、あっせん、賃貸」を加える
  • 1963年 8月株式を東京、大阪両証券取引所第1部に上場
  • 1964年 2月商号を「鉄建建設株式会社」に変更、広島支店開設
  • 1964年 6月建築支店開設(1989年6月 東京支店と合併)

飛躍期

  • 1972年 2月パレス不動産株式会社を設立
  • 1973年 6月建設業法改正に伴い、建設大臣許可(第-48)第1220号の許可を受ける(以後3年ごとに許可更新・1997年より5年ごとに許可更新)
  • 1973年 9月宅地建物取引業法による建設大臣免許(1)第1658号を取得(以後3年ごとに免許更新・1997年より5年ごとに許可更新)

成熟期

  • 1975年 8月横浜支店、北陸支店開設

1985年
~2000年

  • 1986年 2月建設コンサルタント登録規程による建設大臣登録建61第3841号の登録を受ける(以後3年ごとに登録更新、1997年より5年ごとに登録更新)
  • 1987年 2月四国支店開設
  • 1989年 1月株式会社テッケンスポーツを設立
  • 1989年 6月事業規模の拡大と事業の多角化をはかるため、営業種目の追加、整備を行う
  • 1990年 10月千代田共栄株式会社とパレス不動産株式会社が合併し、テッケン興産株式会社(現・連結子会社)とする
  • 1997年 4月北関東支店(2007年4月 関越支店と改称)、東関東支店開設
  • 1998年 6月株式会社ジェイテック(現・連結子会社)を設立
  • 1999年 10月本社ビル免震化工事の完成

2001年
~2010年

  • 2002年 3月海外統括支店を土木本部海外事業部へ組織改編
  • 2004年 7月テッケン興産株式会社と株式会社テッケンスポーツが合併し、テッケン興産株式会社(現・連結子会社)とする
  • 2005年 6月今後の事業展開とグループ経営の推進に備えるため、営業種目の追加および変更を行う
  • 2007年 4月東京鉄道支店開設
  • 2007年 11月建設技術総合センター開設

2011年

  • 2015年 9月経営理念改定と同時に7項目の企業活動指針を制定

鉄建建設ではお客さまを始めとするあらゆるステークホルダーの皆さまに対して、CSRへの取り組みを理解していただきたく、コーポレートレポートを発刊しています。

草創期(1944年~1950年)

第二次世界大戦中における陸運輸送力の確保と増強のための国策会社として、昭和19年2月1日に「鉄道建設興業株式会社」が設立され、初代社長に鹿島組(現鹿島建設)の鹿島精一が就任しました。初受注となった工事は、現在JR東日本の首都圏鉄道ネットワークの動力源となっている信濃川水力発電所の第三期隧道(トンネル)工事でした。
当社は、鉄道関連工事を主体とした社会基盤整備を行う会社として歩み始めました。

整備期(1951年~1954年)

日本経済が復興から成長へとシフトしつつある中、昭和24年6月に日本国有鉄道(国鉄)が公社化されました。当社の鉄道工事の実績は奥羽本線、紀勢線、飯田線、土讃線など、また建築工事では各地の鉄道管理局庁舎、駅舎など全国に拡大していきました。また、この時期、全国の国鉄職員宿舎、鉄道病院・診療所などの建築工事を特命工事として受注し繁忙を極めました。

拡大期(1955年~1960年)

土木部門では、佐久間ダム建設に伴う飯田線付替工事という難関プロジェクトを早期完成させ十河国鉄総裁より感謝状を授与されました。都市では国鉄四ツ谷駅を横断する部分の営団地下鉄丸の内線の工事などにも参画いたしました。

また建築部門では、国鉄職員宿舎、鉄道病院で培ったノウハウ・実績を基に日本住宅公団のアパートや鉄道技術研究所の建設などを手掛けました。

成長期(1961年~1966年)

東京オリンピック開催に向けた国家的プロジェクトである東海道新幹線建設において、品川駅付近高架橋、浜名橋梁、京都駅高架橋、石橋山付近路盤、枇杷島地区路盤、御津地区路盤などを施工し、技術の基礎を着実に固めていきました。
会社創立から20周年となる昭和39年に、社名を鉄道建設興業株式会社から、現在の『鉄建建設株式会社』に変更いたしました。

飛躍期(1967年~1974年)

昭和40年から45年の「いざなぎ景気」のもとで、日本は着実に経済大国への道を歩みました。国民生活が豊かになるにつれて社会基盤整備が行われましたが、当社は新幹線・高速道路・下水処理施設などの工事を行いました。
また、建築部門では秀和代官山レジデンス、和歌山ステーションビル、名古屋ターミナルビル、小倉弥生会館などを次々と手掛け、機能的な都市づくりに貢献いたしました。

成熟期(1975年~1984年)

第二次世界大戦後、最大の不況といわれた第一次オイルショックという時代背景にあるものの、NATM工法などの当時の最新技術を駆使することで、昭和56年には歴代経常利益最高額84億円を達成しました。

また、札幌や静岡、立川などの都市部の駅周辺再開発事業に多く参画し、建築部門の技術力を蓄積していきました。

1985年~2000年

プラザ合意による急速な円高とバブル経済、その後長く続く不況と目まぐるしく情勢が変化する時代でした。当社は、数多くの大型物件への挑戦を行いました。多くの人々が行き交う都心の営業線上空に建設した恵比寿駅、都心と臨海副都心を結ぶレインボーブリッジのアンカレッジなど、ランドマークとなる大規模構造物建設に参画しました。

2001年~2010年

時代は21世紀を迎えます。中東情勢の不安定化、相次ぐ金融破綻、リーマンショックによる世界同時不況なども影響し、日本経済は低迷を続けました。当社は急速なIT化の流れに対応しながら新たな技術開発を進めます。鉄道や道路の立体交差工事のスムーズな施行を実現するHEP&JES工法や、線路上空での昼間作業を可能とするSWORD工法など、革新的な技術の開発を行いました。

2011年~

東日本大震災や、広島の土砂災害、熊本地震など自然災害による大きな被害が相次ぎました。また、東京オリンピックにより建設工事の需要が高まる一方、建設技能者不足の深刻化など業界全体を取り巻く環境も変化しています。
当社は、あと施工スリット工法の「AWAT工法」や、シンプル・コンパクトで多様なニーズに応える制震システム「レンズダンパー」など、人々の防災意識の高まりに対応する新たな技術に取り組んでいます。