
2010/07/08
カテゴリ: てっけんプロジェクト
平成22年6月2日に、青森市の東北本線 野内新駅前広場予定地で、東北運輸局の岸谷克己鉄道部長、JR東日本の福田泰司盛岡支社長、青山祐治副知事、鹿内博青森市長をはじめ、地元町内会関係者ら約60人が出席し、駅工事の安全と無事完成を願う「野内新駅建設安全祈願祭」が執り行われました。
▽当社 神田会長による「鍬入れの儀」
この野内新駅は、今年12月に開通する東北新幹線 八戸~新青森開業に伴い、 青い森鉄道に移管される東北本線 八戸~青森間を、現在の野内駅より青森方に1.4km駅を移設し、周辺地域はもちろん、新駅近くに移転される高校に通学されるお客さまの利便性を向上するものです。当社は、新駅のプラットホームを設置する工事を行います。
▽新駅設置箇所。これからどうなるのか楽しみですね!
今後は、安全第一で新駅設置に取り組んでいきたいと思います。工事の進捗状況は、またブログで報告させていただきますので、お楽しみに!
▽新駅イメージ
~
地域の「顔」を造る新駅工事に、鉄建は安全第一で取り組みます。~
2010/03/01
カテゴリ: てっけんプロジェクト
大阪市営地下鉄【長堀鶴見緑地線】は、大阪府 大阪市 大正区の大正駅から大阪府 門真市の門真南駅までを結ぶ大阪市営地下鉄の路線です。
1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」会場へのアクセス路線として建設された、日本初の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄です。
1997年の大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)開場に合わせて、大正~心斎橋(2.8km)、鶴見緑地~門真南間(1.3km)が開業しました。延伸された路線のうち、当社は大正駅部の工事を施工しました。
当時に工事に携わっていた大阪支店の麻生勝弘さんと一緒に現地を訪れました。
―実際に使われているのを久しぶりに見ていかがですか?
麻生
実は工事が終わってからも何度かこの場所を訪れています。
地下鉄が開通したことで町の様子がにぎやかに変わったので、町の活性化に一役買ったな!と実感しています。
また駅を利用していただいているお客さまを見ると喜びとともに、当時の苦労が懐かしく思われます。
▽1日の乗降車人員 約10,800人の駅
―工事を進める上で苦労した点を聞かせてください。
麻生
今思うとよく怒られました。
現場に配属されたのは入社してすぐだったので、見るもの全てが目新しく毎日が無我夢中でした。
当時建設中だった大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)の開業に合わせて駅も開業しなくてはいけないと言う厳しい条件でした。そのため昼夜24時間の中で仕事に遊びを作らず工程を短縮する先輩の仕切りはとても勉強になりました。
また、先輩方に「こんな工程でできるのか?」と言われ自分でも自信がないと思ったこともありました。
しかし「できます!」と言った以上はどうしてもやり遂げたいと思い、日々悩みに悩んでいたことも今となっては良い思い出です。
結果として、工事がスムーズに進むように仲間と調整し、時には頭を下げて、それが達成出来た時には小さな「ガッツポーズ」をしたものです。
▽萌黄色のラインが入った日本初の鉄輪式リニアモーター地下鉄
―当時を思い出して一番印象に残っていることは何ですか?
麻生
シールドマシンが施工した躯体にちゃんと到達した時ですね。
開口位置が間違っていないか到達するまで毎日覗きに行きました。また開業の前に電車の試運転が始まりましたが、電車がホームに当たりはしないかと心配になり電車が入ってくるのをかたずを飲んで見守ったりしました。
―竣工した時の感想を聞かせてください。
麻生
実際に工事をした場所が今となっては見事なまでにきれいなタイルの壁に化粧されてしまっているので、少し淋しい気持ちと言うのが正直なところです。
しかし完成したものを自分で利用できるというのは大変嬉しいことです。
―後輩に一言!
麻生
現場をやっている時は大変だと思います。私事で言いますと今でも大変です。
しかしながらひとつの仕事が竣功する瞬間に苦労を忘れ、その苦労が喜びに変わります。新しくこの世界に入られる方はひとつ現場を終えるまで我慢してみて下さい。
かつて定年を迎える方が言っておられました。「引退したらお遍路がわりに妻と一緒に今までにやった現場を旅行しようかな」と。「つき合わされる妻にとっては迷惑かも知れませんが」・・・でも素敵だと思いませんか!
2010/02/10
カテゴリ: てっけんプロジェクト
ベトナムと言う国をご存知でしょうか。
日本からは意外と近く、成田空港からですと約2,600km、往路6時間、復路5時間の距離です。
今回は、2010年2月9日に契約調印をした「ハノイ-ホーチミン間国営ベトナム鉄道橋梁安全性向上化工事」についてご紹介します。
工事の中心となる町は中部のダナンで、ベトナム戦争当時はアメリカ軍の物資揚陸基地として栄えた町です。人口約80万人、首都のハノイからもホーチミン(旧サイゴン)からも飛行機で1時間10分程度です。
今回受注した工事の中で最大の橋梁が、このダナン市の北部20km程度のところにある「Nam O」橋梁です。
他の9橋梁は、既設の橋梁の下に新しい橋脚を構築し、営業線が終了し始発電車が走り出すまでの間で桁を横取りして施工しますが、「Nam O」のみ、仮線で線路を切回してからの施工となります。
▼「Nam O」橋の全景

「Nam O」は、古都フエ市との間にあるハイヴァン峠の麓にあり、写真上の雲のかかっているのがハイヴァン峠の山並みになります。写真右側はすぐ海につながっており、潮の干満の影響を受けながらの作業となります。
▼急行列車が徐行して通過
ダナン市内には日本食のレストランもあり、日本企業の工場進出も盛んだと聞いております。もともとベトナム料理は中華料理よりあっさりしており、野菜を多く食べるのでヘルシーであると言われております。
またダナン市は海に近い為海鮮料理も有名で、夜は多くの人で賑わっております。
近くのビーチではまさしく白砂の海岸線が長く続いており、外国人観光客を含めた多くの人で賑わっています。写真は現場踏査後の夕方であったので人影は少ないですが・・・。
▼ダナン市内の白砂のビーチ

▼ダナン駅前には蒸気機関車が

今回は、このような現場を中心に行う予定です。
契約の調印式は、首都ハノイの高級ホテルで行われました。
ベトナム国鉄総裁を初め、在ベトナム日本大使館公使、JICAハノイ事務所長多くの来賓を迎え、当社からは橋口社長が出席し調印式を行ないました。
▼契 約 調 印 式
2010/02/04
カテゴリ: てっけんプロジェクト
豊かな自然環境に恵まれた岡崎中央総合公園文化ゾーンの核として平成8年7月に岡崎市美術博物館(マインドスケープ・ミュージアム)が開館しました。心と体のリフレッシュのための空間にふさわしい、世界で初めての「心」をテーマにしたミュージアムです。
敷地は豊かな自然を残す岡崎中央総合公園内にある高台の一角に位置しています。池のほとりに建ち上がった建物は、精緻なリブ状コンクリート打放しの造形も美しく、ガラス張りのアトリウム、伸びやかにはね出したレストランのウイング型大屋根をアクセントにして、泰然とした全貌を大自然の中に横たえています。
平成9年には良好なまちなみ景観の形成や潤いのあるまちづくりに貢献している建築物として『愛知まちなみ建築賞』を受賞しました。
当時工事に携わっていた名古屋支店古知野作業所の野澤満さんと一緒に現地を訪れました。
―工事について教えてください。
野澤
岡崎市美術博物館は、エントランスホールが2階にあり、建物から池へアプローチできるスロープや階段があるなど地形を活かした造りとなっています。
周辺の自然環境との融合を図るため、外壁は精緻なリブ状コンクリート打放しを採用しました。
その他、高さ約20mの吹抜けを有する総ガラス張りのアトリウム、レストランのウイング型大屋根がアクセントになっています。
―建物を久しぶりに見ていかがですか?
野澤
竣工して随分時間が経っていますが、改めてみると本当にすごいモノを造ったのだなと率直に感じました。この現場に携わったことは、本当に幸運であり、うれしく思います。当事の事を思い出しますと印象深い事ばかりです。
総ガラス張りのアトリウムを造るのは初めての経験で、鉄骨と鉄骨を全て溶接でつなぐとても手の込んだ作業でした。
総ガラス張りと言うこともあって夏場の内部での作業はとても暑く過酷でした。また、岩盤の山の斜面を削って建っているので、建築の工事では珍しくダイナマイトを使った掘削工事や、深礎杭等初めて見るものばかりで大変貴重な体験をさせていただきました。
そのため日々勉強の毎日でした。
自分は仮設工事担当だったので、足場の計画を任せてもらっていたのですが、躯体が階段とスロープの連続で複雑な形状をしていたので、どのような足場を組めばより効率的なのか、非常に悩みながら計画を立てていた記憶が鮮明に残っています。
クローラークレーンが2基あり、作業ヤードも広かったので、これを有効に使い、足場をユニットで組んで移動しながら転用していくといった考えもこの現場ならではの発想だったと思います。
このように現場の特色をいかした計画を立てることも非常に大切なことだと感じました。もちろん現場が大きいだけにその分失敗も大きく・多かったのですが...
今思えば入社4年生の自分によく任せてくれたものだなと今になって思いますし、上司や先輩に感謝しております。
実は工事が終わってからも何度か家族を連れてこの場所を訪れています。
子どもから「すごくかっこいい建物だね!」と言われた時は、とても誇らしく思いましたし、苦労したことも今ではいい思い出となっています。
―トラブルや苦労したことはありますか?
野澤
広い公園の敷地内での工事だったので、近隣は何も無く、作業ヤードも十分あって環境的には非常にやりやすかったのですが、建物の形状が当事の自分にとっては非常に複雑であり、イメージしにくかったので、足場の計画には大変苦労しました。
幸い模型が事務所にあったので、毎日にらめっこをしながら足場の出来上がりをイメージしていました。
ただ内部までは分からなかったのですが。内部足場は殆どが支保工足場で、特に建物南側が長大なスロープと階段で構成され、内部は支保工兼用足場、外部はスロープ上の浮き足場といった具合で何度も失敗して組み直した苦い経験があります。
又、外壁がリブ面のコンクリート打放しで、足元はスロープの浮枠なので吹き出しなっており、コンクリートの打設にもかなり苦労したのを覚えています。
美術品の収蔵庫なので打継からの漏水事故に配慮し、出来る限り少ない回数での打設に腐心しました。仕上がりの結果が期待どおりでなくくやしい思いをしたこともありました。
―当時を思い出して一番印象に残っていることは何ですか?
野澤
アトリウム棟、レストラン棟の足場が解体され建物全容が見えたときは、とにかく凄い建物をつくったのだと感動しました。
―竣工した時の感想を聞かせてください。
野澤
これだけ立派な建物に仕上げることができたという自信から、今までの苦労も報われたと思いました。
岡崎市美術博物館
○施工場所 愛知県岡崎市
○発注者 愛知県岡崎市
○設計 (株)栗生総合計画事務所
○構造 RC造 一部SRC造、S造
○延床面積 6,251.4㎡
○工期 1993年12月~1995年11月
2010/01/26
カテゴリ: てっけんプロジェクト
県庁所在地のさいたま市浦和区が埼玉県の行政・文教をになう都市とすれば、さいたま市大宮区は商業・交通の中心都市といえるでしょう。このさいたま市大宮区の南部とさいたま市中央区(旧与野市)にまたがる地域にさいたま新都心が開けています。新都心の地区を結ぶ交通路として、また外部から新都心への主要アクセスの役目を果たすのが、総延長125mの「こ道橋」です。16線の鉄道線路下を、首都高速大宮線・東西中央幹線の2つの道路と共同溝の通るアンダーパス工事を施工しました。当時工事に携わっていた平和広さんと一緒に現地を訪れてみました。(1999年竣工)
―工事について教えてください。
JR京浜東北線、東北線(高崎線・宇都宮線)、貨物線合わせて16線の下に、首都高速道路と一般道、共同溝を通すアンダーパスの工事です。
―何か、挑戦したというエピソードや工夫をしたことはありますか?
運行する鉄道に影響を与えないことが、当然ながら安全面から最も重要でした。そのため、常に軌道変位の測定を行い、線路の挙動を監視し、測定結果を工事に迅速に反映しなければなりませんでした。そのため、レーザーによる軌道変位監視システムを導入し活用しました。
▽上部には直径914mmの鋼管が並び、パイプルーフの水平部を力強く形づくる
―工事中はどんな点に苦労をされましたか?
狭い空間での運搬や掘削で、機械の損傷や事故が起きないかと神経をすり減らしました。特に測量は正直に言うと大変でした。メッセル導坑内で杭の位置を出すのも狭いし、暗いし、うるさいし、見通しは利かないし...おまけに昼夜で施工しているので、測量機械は動くし...。当時はそんなことで苦労の連続であった気がするのですが、改めてみるとそんなに苦労したかなぁって感じです。所員も同年代が多く、作業員も面白い方が多かったのが理由かもしれません。
▽さいたま新都心地下道
―竣工した時の感想を聞かせてください。
この現場には竣功まで在籍してなかったのですが、学校で言うところの卒業にあたり、うれしいような、さみしいような気持ちになったのを憶えています。工事が竣功(完成)に近づくと一緒に仕事をしてきたメンバーも少なくなっていき、最終的には解散します。後であの現場は面白かったと言えるようになれたらいいなと当時から思っていました。
▽当時、工事に携わった精鋭たち! 中列左より2番目が平さん

○施工場所 埼玉県さいたま市大宮区~中央区
○事業主体 住宅都市整備公団、首都高速道路公団、埼玉県
○設計監理 東日本旅客鉄道株式会社
○工事概要 さいたま新都心へのメインアクセス道路として、東北線・京浜東北線等16の営業線の
下に首都高速道路及び東西連絡道、さらに共同溝を一断面にした構造で、幅28.39m
高さ19.56m、延長125mのアンダーパスを構築したものです。このアンダーパスは、
138本のパイプルーフを門型に挿入し、さらに地盤の安定を図るため11,665m3の薬液
注入工を施しました。
○工 期 1995年3月~1999年2月
2009/12/04
カテゴリ: てっけんプロジェクト
長良川高架橋は、全国に展開する14,000kmの高速道路ネットワークとして建設される中部縦貫自動車道の一部であり、長良川を横断する橋梁です。
PC橋としては日本有数の長さを誇り、最大支間長156mは同一形式の橋梁としては完成当時、日本一だったそうです。
今回は当時工事に携わっていた名古屋支店の御宿淳一さんと、一緒に現地を訪れてみました。
中部縦貫自動車道は、長野県松本市を起点とし、飛騨・美濃・越前地方の険しい山岳地帯を通り、福井県に至る延長160kmの道路です。
中部・関東地方と北陸地方の発展に資するため、中央自動車道長野線・東海北陸自動車道を相互に連絡して広域交道の円滑化を図ると共に、文化・観光資源を生かした地域振興他、産業・経済の発展を図ることを目的として計画されています。
当社は油坂峠の一部である、東海北陸自動車道白鳥ICより約2kmに位置する長良川高架橋を施工しました。(1999年竣工)
―工事について教えてください。
御宿
長良川高架橋は、橋長526mの4径間連続PCラーメン橋で、橋面の高さは地上より約50mで、施工の方法は、カンチレバー工法で施工しています。
カンチレバー工法とはワーゲンと呼ばれる移動式作業車で、橋脚を中心として左右対称に張出していく工法で、ヤジロベエの様だとよく言われます。
当工事の特徴として、PC橋としては日本有数の長さを誇り、最大支間長156mは同一形式の橋梁としては完成当時、日本一だったと記憶しています。
―工事をする上で、気を付けていた点はありますか?
御宿
『橋梁工事は計画の積み重ねで、基本や基礎の部分が一番大切だ。』当時の上司に最初に言われました。私もそのとおりだと思います。
トンネル等と違い、自然環境等による未確定部分が少なく、計画がそのまま実行できる又実行しなければならないという意味で、非常に計画が重要であると思います。
きっちりとした計画を立てて、それを実行する。問題点があれば次の計画にフィードバックする。という事が重要でないでしょうか。
―工事中、工夫した点は何ですか?
御宿
どんな工事でもそうだと思いますが、コンクリート打設には特に気を使いました。
一般に箱桁橋では、ウェブやウェブ直下の下床にコンクリート未充填の不具合が発生しやすく、特に本橋はすべて内ケーブルでウェブ内にシースが密集して入っている上に、斜ウェブである為、不具合が発生する可能性は非常に高くなっていました。
そこで、ウェブの内枠にコンクリート打設用開口を作成し、コンクリートの充填・締固め具合を間近で施工・確認できるよう工夫しました。
おかげで、コンクリートの品質トラブルなく工事を完成させる事が出来ました。
―何か、挑戦したというエピソードはありますか?
御宿
開通時期が決まっており、工期短縮というのが大きな課題でした。工期短縮のために実施した数々の事項の中で大きな物2つです。
一つは大型ワーゲンを採用して、1回の施工距離を長くしました。そのためには、詳細設計を一から行う必要がありますが、本社と協力して実施しました。
二つ目は、通常は橋体完成後に現場打ちで作成する地覆高欄を、工場製作品であるプレキャスト壁高欄として採用しました。プレキャスト壁高欄を地上高約50m高さで高速道路に採用するという事も有り、安全や品質面の様々な問題点を解消する必要がありました。
そこで、実物大の試験体を作成し、車両衝突時の安全性や、施工時の確実性、将来のメインテナンス性等について確認を行いました。無事採用され、大幅な工期短縮に貢献することができました。

―工事を通して、自分が成長したと思える事はありますか?
御宿
この工事ではじめて橋梁工事に携わりました。周りの人に負けまいと自分自身努力して、色々な事が吸収できたと思います。
施工条件に合った施工方法を考え、施工図作成と強度確認を行い、数量の確認を行うことは当たり前といえば当たり前ですが、一から自分で行うことで重要な部分がよく理解でき、本当の意味で力が身についたと感じました。計画を自分で行う若しくは確認することで、仕事の幅や考え方の幅が広がったのではないかと思います。
―番印象に残っている事は何ですか?
御宿
私は、その現場に配属された当時、入社6年目でしたが、一山を越えるような基準測量をやった経験もあり、測量には自信を持っていました。
着任後、橋の測量は難しいと聞いて、せいぜい数百メートルでお互いが見通せる状態にあるのに、測量がなぜ難しいのか理解できませんでした。しかし、実際に工事がはじまると、その難しさは理解できました。
橋面の高さは、荷重条件等で変化します。特に架設中の橋は、橋自体と移動式作業車の重量等、施工状態の変化によりその都度高さを変化させます。そのため、作ったときの高さと完成したときの高さは数センチ単位で違う値を示します。
その差は『上げ越し』と呼ばれ、きっちりと計算し、完成した際に高さが合うように計画・施工します。
それ以外に、橋が長くなると温度による変化も大きくなり、朝と昼の橋面の高さが全然違うという一見不思議な現象が発生します。それらの繊細さに驚きました。
その意味でも橋がぴったりとつながった時には非常に嬉しかった思い出があります。
―竣工した当時の感想はどうでしたか?
御宿
地下鉄や山岳トンネル等、色々な工事に携わりましたが、橋梁工事ほど完成物が絵になる工事はないと思います。
作っている最中もそうでしたが、出来上がったものを遠くから眺め、特に自分が携わったところを眺めると、非常に大きな達成感がありました。苦労した事までが、いい思い出になった気がしました。
―地元の方との思い出などはありますか?
御宿
地元とのふれあいの為の行事を何度か行いましたが、その中で子供の日に行った鯉のぼりを上げるイベントをよく覚えています。
地元の方々から使わなくなった鯉のぼりを貸して頂き、橋脚と橋脚の間にワイヤーを張って揚げました。
橋脚間156mの間で地上高40mに100匹あまりの鯉のぼりが泳ぐ様は壮観でした。地元の方々特に子供たちと協力して行ったこのイベントはかなり盛況でした。
―思い出の場所はありますか?
御宿
竣工した年、地元の小学6年生に将来の夢などを書いてもらいタイムカプセルにして、橋の下に埋めた場所があります。
その子達が二十歳になったら開けてもらう約束をして、タイムカプセル内にワインとメッセージをつめておきました。
メッセージに何を書いたのかは忘れてしまいましたが。その場所の目印に桜の木を植えたので、桜の成長も楽しみにしていました。そういえば、竣工から10年あまり経っているので、その子達は二十歳を越えているはずです。
―道路が開通した今、実際に車が通っている現場を見てどうですか?
御宿
実際のところは、問題なく供用されているという事に、ほっとしています。何か不具合は発生していないか、いや大丈夫・・と不安な気持ちで今日はここを訪ねました。
一生懸命作った物ですから、その思いは想像以上に大きいものです。
―高架橋を周りの風景と一緒に見ると、とてもスケールの大きさを感じるのですが、どう思いますか?
御宿
私自身、現在も橋梁工事に携わっています。
現在の工事は第二東名高速道路関係の工事で、結構大きな工事ではありますが、久しぶりに見た長良川高架橋を目の当たりに、そのスケールの大きさに改めてびっくりしました。
まさに地域の風景の一部であり、地図に残る仕事だと思います。こんな大きな工事に携わる事が出来たという事に、改めて喜びを感じます。
自分の携わった仕事を後に見学に行くという事はなかなかありませんが、今回の良い機会に恵まれて、年月を経過して見に行くのもいいなと感じています。
次は子供達と一緒に見にこれたらば良いなと考えています。
―あとがき―
今回の取材にあたって、御宿さんの「ものづくりに対するあつい思い」のようなものを感じました。
スケールの大きい土木工事は、苦労を吹き飛ばす達成感を与えてくれ、その感動を長く持続させてくれる、すばらしい仕事ですね。
お忙しい中取材協力ありがとうございました。
平成9年度中部縦貫長良川高架橋上部工事
○路線名 中部縦貫自動車道
○施工場所 岐阜県郡上郡白鳥町為真~越佐
○発注者 建設省(現:国土交通省)中部地方建設局
○工事概要 長良川高架橋上部工一式
PC4径間連続ラーメン箱桁橋
橋長:526.0m
架設工法:カンチレバー工法
○工期 1997.11.18~1999.12.10
2009/07/13
カテゴリ: てっけんプロジェクト
当社初の免震建物として、鉄道や道路などの交通に関する最新の技術を開発する日本交通技術㈱さまの本社ビルを施工しました。
建設コンサルタント会社であるお客さまの本社ビルとしてふさわしい、安全性、機能性を追求し、免震システムを基礎部に設置、21世紀の新しい技術の発信基地となっている建物です。
当時工事に携わっていた本社設計部の坂井 誠さんと、平成20年に入社した平田 聡さんと一緒に現地を訪れてみました。
― お客さまである日本交通技術㈱さまの本社ビルは当社初の免震ビルの建物ですが、簡単に工事について教えてください。
坂井
日本交通技術㈱の本社ビルは、地上8階建ての鉄筋コンクリート造の事務所ビルです。地下の設備ピットに天然ゴム系積層ゴム、鉛プラグ入り積層ゴム、鋼棒ダンパーを配置した免震構造の建物です。
また、事務所ビルでスパンが大きいため、上部構造の大梁はPC(プレストレストコンクリート)梁を採用しています。

―竣工以来10年ぶりに現地を訪れたそうですが、久しぶりに建物を見ていかがですか。
坂井
入社1年目にマンションの現場に配属されましたが、仕事に慣れるのに精一杯で日常に追われ余裕を持って仕事に取り組むことができず、あっという間に工事が終わってしまった感じでしたが、この建物は入社2年目に私が担当した2つ目の現場で、仕事に対して余裕を持って取り組むことができ、工事の流れを理解して携わることができた思い出深い建物なんです。
当時、お客さまの「地震から確実に財産を守りたい」と言うニーズと当社の提案がマッチし当社の免震技術が採用されたのですが、その技術が実際に活躍しているのを見て、すごいものを造ったんだなと思ったのが率直な気持ちです。
当時、色々なプレッシャーがありましたが、やり遂げられて良かったなと思います。また、所長より仕事を任されることも多くなり、責任のある立場で工事に携わることができ、工事の進め方、技術的なこと等、全てが自分にとって財産となるような経験ができました。
今日11年ぶりに完成した建物を見ましたが、完成した当時とあまり変わることなくきれいに使われていて感動しました。また、初心に返った気持ちになりました。
―現場での作業がスムーズに進行するように何か心がけていたことはあります か? また苦労した事を聞かせてください。
坂井
協力業者さんに効率的に指示、伝達ができるよう、コンクリートの打設等色々な計画書を作成し、作業をする前に綿密に打合わせをしました。打合わせをすることで、みんなで一緒にやろうという雰囲気もできました。
免震建物は当社にとって初めてのチャレンジだったので、工事が進むと悩むことも多くありましたが、厳しい工期の中で、ミスをして手戻りがないように慎重に工事を進めました。
この建物は、お客さまや設計事務所から高い品質要求事項があり、初めの頃は意思の疎通がなかなかスムーズにできず、厳しい監理指導を受けることもありました。
しかし、施工者として何事においても実直に対応して、信頼関係を築いたことで、工事の途中からは「よくやってくれてるね。」と声を掛けてもらえるようになりました。
お客さまや設計者とよい関係を築くには、「これくらいでいいか。」ではなく、「やりすぎ!」といわれるくらい、何事においても真面目に取組んでいる姿勢をみせることで、相手に信頼してもらうことが大切だと思います。
さらに、信頼に応えることが肝心なんだと言うことを学びました。それが全てではないかもしれませんが、よい関係を築くことは仕事をスムーズに効率的に進めることにもつながって行くと思っているので、いつも私はそのことを心がけていています。
また、当社初の免震建物ということで、工事期間中は見学される方が多く、その度に現場にゴミ一つ無いように清掃し、また沢山の資料を揃えなくてはいけなかったことも苦労した点です。
でも見学者が多いという事は、みなさんが注目をしている工事だったのだと思い、今となっては誇らしく思えます。

―何か挑戦したと思えるエピソードはありますか?
坂井
免震工事については、すべてが初めての経験だったので施工手順や品質管理方法などを所長や主任とともに色々と打合せして進めたことを思い出します。また、構造設計を希望していたので、免震関係の本を買って勉強したことを憶えています。
コンクリート工事では、お客さまが土木のコンサルで土木仕様のコンクリート躯体をつくって欲しいという強い希望がありました。そのため、所長からコンクリートの打設計画をつくるように言われ、土木の仕様書や学会基準などを勉強して施工計画書を作成しました。
また、絵に描いた餅にならないようにコンクリート打設にあたっては職人さん達と一緒になって施工したことを思い出します。
―何か自分が成長したと思えることはありますか?
坂井
当時はとにかく何事にもがむしゃらにくらいついていきました。
そんな気持ちになれたのは、現場で所長や主任みんなで同じ方向を目指していたことが大きく影響していたと思います。1つ問題を乗り越えられると仕事が楽しく思え、図面どおりの建物が完成していく感動を味わえたこともモチベーションを保つことができた要因の一つです。
学生から社会人になり厳しく忙しい環境の中で、「この会社でやっていけるのか?」「えっ!こんなこともするの」と、迷うことも多くあり、工事中に「いつか辞めてやる!」と思ったことがあったことは今となって笑い話しです。
―当時を思い返してみて、一番印象に残っていることはどんなことですか?
坂井
入社1年目、2年目くらいのやわらか頭の時に印象に残ったことは、インパクトが強く、後々の自分自身の経験において影響力がとても強いのだなと今になって思います。
仕事に対する姿勢であるとか、いろいろなアプローチの仕方など、当時の基準で判断することも多くあります。また、所長や主任に色々なことを教えて頂きましたので、今でも頭があがりません。
―これから挑戦したいことはありますか
坂井
今は現場を離れ設計部で構造設計の仕事をしていますが、ゼネコンの設計部として施工部門と密に連携をはかり、その立場を生かしていきたいです。
建物の機能性、施工性、経済性を満足した建物を設計し、現場の仕事がスムーズに進むような設計および監理を行い、「うちの設計部が設計してくれたから仕事が進めやすい。」と現場の方に言ってもらうことが目標です。
また、自分の設計した建物が全国各地にできたらいいなとも思っています。
―最後に後輩に一言!
坂井
困った時は一人でかかえこまず、なんでも相談してください。相談することで再発見や気づきが生まれ、行き詰っていることが解消され仕事が楽しく思えるようになると思います。
仕事は能力のあるなしだけではなく、本人のやる気や興味を持って楽しんで取り組めるかが大事です。
また、これは違うなと思う失敗や挫折も自身の知識や経験としての財産になると思います。それらの知識や経験を次の機会に生かして前向きにチャレンジしてください!
日本交通技術(株)本社ビル新築工事
○施工場所 東京都台東区上野7丁目11番1号
○発注者 日本交通技術株式会社
○設計 株式会社交建設計 / 株式会社東京建築研究所
○工事概要 RC造 / 地上8階 / 延べ床面積 2,424㎡
○免震装置 天然ゴム系積層ゴム 5基 / 鉛プラグ入り積層ゴム 6基
鋼棒ダンパー 5基
○工期 1997.4~1998.3
2009/04/29
カテゴリ: てっけんプロジェクト
竣工から10年経ったグランデュオ立川へ当時工事に携わっていた東京支店柴田崇さん(平成4年入社)と、上原誠さん(平成20年入社)と一緒に現地を訪れてみました。
現地を訪れた後に上原さんより柴田さんへインタビューをしていただきました。
東京都立川市は、東京多摩地区の中心都市の一つとして発展しています。市域南部のターミナル駅となっている立川駅に「新しい商業空間の創造」をコンセプトに、110のブティックとワールドレストランが入った、大型商業施設が1999年に開発されました。
グランデュオ立川全景
― 1999年4月18日に立川駅南口の駅ビルとしてオープンしたグランデュオ立川ですが、今日オープンから10年ぶりに現地に来たそうですが、久しぶりに建物を見てどんな気持ちですか?
柴田
立川駅は、東京多摩地区の人たちの拠点として、住み良い街・使い易い街づくりを目的としてターミナル開発と駅南口の再開発を一緒に行った合併再開発事業としてインフラ整備が進められました。
そのインフラ整備の一環として建設されたグランデュオ立川の建設に携わりました。立川へ来たのは、竣工して以来なので10年ぶりでしたが、10年前と変わることなくきれいなままで、建物が使われているのを見て感動したのと同時に、建物を創りあげる苦しみと喜びの思い出が彷彿としてよみがえりました。
休日のにぎわっている様子も想像でき、「立川」の活性化に貢献しているな!と思いました。立川にはグランデュオの他にも、ペデストリアンデッキ、ホテルメッツ、エキュート立川、モノレールなど、鉄建が携わった構造物が沢山あり、「立川に鉄建あり!」と言う感じですね。
―グランデュオ立川の中に思い出の場所はありますか?
柴田
7階にフロア全体が中国の街並み風のテーマパーク的なレストラン、中華料理専門店街「立川中華街」がありますが、そこのフロアの床の仕上げにはかなりこだわりました。今日10年ぶりに訪れましたが、状態を見て、こだわって仕事をした甲斐があったなと思いました。
その他グランデュオの1階は橋上の改札階が設けられ、グランデュオの入口と駅が直結しているのですが、改札を通って人が中に流れてくる様子を今日目にできたことは、とてもうれしく思いました。
―大規模な作業所では、多くの関係者の方が現場に出入りしていたと思いますが、現場での作業がスムーズに進行するように何か心がけていたことはありますか?また、プレッシャーはありませんでしたか?
柴田
大規模な工事だったので、多くの作業員が従事していましたが、売店やシャワー室を設けたり、入退場をバッチで管理したり、作業のしやすい環境づくりには配慮しました。経験のあるベテランの作業員の方にも若い私からの指示でスムーズに作業を進めてもらわなくてはいけないので、コミュニケーションを大切にしていました。
工事を計画どおりに安全に進めるために、みんなの意識を1つにするため、お花見や餅つきなど月1回のイベントを行うなど、横のつながりは大切にしていましたね。
作業所は最盛期には1,300人近くの作業員が出入りしていたのですが、その1,300人の前での朝礼はかなり度胸がいりましたね。
作業所には入社7年目に配属されたのですが、プレッシャーはありませんでした。それよりも、大きな現場で自分は何ができるのか?自分の持っている知識の何が活かせるのか?と言う期待感のほうが大きかったです。
―工事中何か大きなトラブルはありましたか?
柴田
人命に係わるような大きなトラブルはありませんでしたが、何かトラブルが起こってしまった時には、所長以下、作業員100人くらい総出でチームワークのもと回避しました。
現場は昼夜動いていたので、電車が走っている時間帯も工事は進められ緊張の連続でした。トラブルを未然に防ぐために、毎日綿密な打合せをして作業を進めたことが、大きなトラブルがなく竣工を迎えられたことにつながったと思います。
その他にも問題が発生した時には、近くの当社の現場にも協力を依頼して、助けを借りたこともありました。

―何か挑戦したと思えるエピソードはありますか?
柴田
JRさんの大規模現場では新工法や新技術での施工を経験できる醍醐味を味わうことがあるのですが、この現場でも、JR・竹中工務店さんと一緒に鉄骨柱の「ノンブラケット工法」や「CFT構造」を経験しました。
これは大規模現場でしか経験できないことなので、よい機会となりました。
―このような大規模現場で施工管理を経験し、何か自分が成長したと思えることはありますか?
柴田
大きな現場を動かす時は、工種ごとの施工管理にあたり、創意工夫と統制、決断力が必要であり、私はこの現場でそれを培い成長したと思います。
他の工種との調整、大勢いる作業員への伝達方法等、勉強になることも沢山ありました。
―当時を思い返してみて、一番印象に残っていることはどんなことですか?
柴田
竣工セレモニーの日に大勢のマスコミが集っている中で、沢口靖子さんのテープカットを一番前で目にしたことですね。
―工事が竣工した時の感想、また、あらためて建物を見た感想を聞かせてください。
柴田
仮囲いが取れ、自分が造った建物を利用されるお客さまを見ると、達成感でいっぱいになりますね。
工事中は夜間作業もあり大変でしたが、「駅がキレイになったね。」と声をかけられた時には、街のみなさんの役に立っているんだと感じることができて、とてもうれしかったです。
―これから挑戦したいことはありますか
柴田
やはり現場所長を経験したいです。自分も色々な現場を経験してみて、所長の「言葉の重み」、「やりがい」、「達成感」、全てが自分に返ってくる責任あるポジションで、発展途上の自分の能力を極めていきたいです。
ホテルメッツ
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―最後に後輩に一言!
柴田
小さな失敗や仕事上の問題など、そのままにしないで私たちのような立場の者にアドバイスを受けてください。忙しくしていても、みんなフォローしてくれます。
相談できる先輩を見つけたり、トレーナー制度を有効に活用したりして、先輩の経験してきたことに耳を傾けてみてください。
同じ会社にいるのですから、同じ失敗や苦労をするのは時間がもったいないです。先輩の力を借りて積極的に仕事を身に付けてください。
―上原さんの感想―
立川駅周辺には、鉄建が工事に携わった建物が多くあることにまず驚きました。
街のインフラを整備して、人の暮らしに役立つ仕事をすることで、周辺のみなさんに喜んでもらえる仕事の喜びをあらためて知ることができました。
作業所に勤務していると、先輩方はみなさん忙しそうにしているので任されっぱなしのような気がしていました。仕事を覚えようと思っていても失敗を恐れて、フォローしてもらえなかったら...と心配ばかりしていましたが、今日柴田さんの話を聞いて少し安心感がでてきました。
これからはつっぱしるくらいの勢いで、色々なことに挑戦して行こうと思います。
■グランデュオ立川
○所在地 東京都立川市
○発注者 東日本旅客鉄道(株)、ジェイアール東日本商業開発ほか
○設計 東日本旅客鉄道(株)、立川駅南口合体ビル実施設計JV
○工事概要 S造、地下1階 地上10階 塔屋2階
延床面積 64,710.18㎡
2009/04/29
カテゴリ: てっけんプロジェクト
東京メトロ錦糸町駅構内
東京メトロ半蔵門線は、渋谷~水天宮間ですでに開業していた路線(1990年開通)を13年の歳月をかけて、水天宮前より先の清澄、住吉、錦糸町、押上まで延伸しました(2003年竣工)。
この延伸は単に地下鉄沿線を便利にしただけでなく、東武線と東急線を接続させ首都圏の鉄道ネットワークに大きなインパクトをもたらしました。施工した地下駅は、この付近の主要幹線道路の直下で、墨田区随一の繁華街でもあるため、人通り、交通量ともに非常に多い場所でした。工事は交通に極力支障をきたさないように進められました。
当時工事に携わっていた東京鉄道支店の長橋潤さんと、平成20年に入社した目黒洋一郎さんで現地を訪れてみました。
長橋潤(昭和63年入社)

目黒洋一郎(平成20年入社)
― 錦糸町駅周辺は墨田区随一の繁華街であり、また主幹線道路が通っているため、人通り、交通量ともに多い場所での工事だったと思うのですが、どんなことに一番注意をしていましたか?
長橋
まず始めに地下鉄錦糸町駅の工事について簡単にふれたいと思います。
地下鉄錦糸町駅は土被り平均5.5m、掘削深さは23.7mで地下3層構造となっています。B3Fはホーム階、B2Fは電気・機械室階、B1Fはコンコース階となっています。これを営団さんからの直接発注25m、JR委託工区(JR総武線との交差部)が125m合わせて150mが当社の受持分でした。
その他に地下鉄出入口が2箇所、換気塔も併設されており、また墨田区による錦糸町駅前広場の整備工事の一環として、地下鉄構造物の上に地下駐輪場、駅前広場整備復旧工事、これら全てを当社にて施工しました。
JR錦糸町駅前
地下鉄11号線の錦糸町駅は付近の主要幹線道路である四つ目通り直下に設置されるため、交通に極力支障を来さないようにする必要がありました。
また、総武線四の橋架道橋直下での施工が施工延長125m(JR委託工区)のうち72mあり、ここでは空頭制限4.7mという制約を受けた中での施工でした。限られた時間の中で作業をしなくてはいけなかったので、時間になったらすぐに作業に取り掛かれるように、また良い条件の中で作業が進められるように、毎日作業工程を念入りに確認していました。
人通り、交通量が多い上に、規模が大きな工事だったため構造物(目的物)を作り始めるまでの仮設に時間がかかったことも大変苦心しました。
↓この道路の直下に錦糸町駅

―周囲には商店舗も多数あり、地域住民はもとより多数の一般の方も集まる地域でしたが、沿道対策について聞かせてください?
長橋
大きな店舗が多かったため沿道対策には大変苦心しました。
営団さんの渉外担当者と各工区の事務主任で近隣住民の協議会の会長宛に何度も工事についての説明にうかがいました。工事による直接的な苦情があったときには所長の指示の下、作業所全員で丁寧に対応して、信頼関係を築きました。
工事も終盤に差し掛かってくると、沿道の方からの苦情も増えてきました。工事が原因と思われるものは当然対処しなければなりませんでしたが、中にはそうでないものもありました。
しかし、どれも無視することなく、話を聞いて納得をしてもらうように対応をしていました。道路上での仕事だったので当時の所長から「工事をしているんじゃない、工事をさせてもらっているんだ!」ということをよく言われました。このような気持ちを持って近隣、協議の相手先と接していたことも良い結果になったのではと思います。
相手が何を求めているか、こちらの要求を呑んでもらうためには何が必要か、相手の立場になって物事を進める姿勢を持つことがうまくいった理由の一つではないかと思います。苦労することが多かったですが、従事した社員の人柄もあって、大きなトラブルもなく最後には大変仲良くしていただきました。
―現場での作業がスムーズに進行するような工夫はありますか?また何か挑戦したと思えるエピソードはありますか?
長橋
この工事は、桁下4.7mという空頭制限のある中で施工を進めなくてはいけなかったため、使用する機械や施工法について現場で工夫し、困難を乗り越えました。工事が始まる前の積算や、初期の段階の施工計画からプロジェクトに係わることができたので、自分に大変プラスになりました。
また、この工事では、日々の営団さん、JRさんとの打合せは言うまでもありませんが、協議先が多岐に渡っていました。
警察(道路使用許可、信号、復旧形態)、国道(本復旧)、都第五建設事務所(復旧形態)、墨田区(駅前整備)、埋設企業各社(立会、防護、復旧)、都バス(復旧)、面白いところではタクシー近代化センター(タクシー乗り場移設・復旧)など、直接的な数多くの協議を作業所で行わなければならなかったのも苦労した点です。
しかしどことの協議を取ってみても不思議なことに、とにかくスムーズに行うことができました。これも、先ほど沿道対策でお話したように、従事した社員が辛抱強く、丁寧な対応をしたことが良い結果に繋がったと言えます。
またこの現場は無事故で竣工を迎えたんですよ。全員がそれぞれの立場で現場の状況に気を配り、危ない状況を未然に回避したこ とが、一番の大きなポイントだったと感じています。
その他には工期は厳しかったですが、みんなで休みが取れるように、前もって休暇予定表を作成し、順番に休みを取って、プライベートの時間も充実させながら仕事に取り組みました。ちょうど子供が幼稚園にいた頃で、月に1回お父さん達が幼稚園に集まり、子供達の相手をするお父さん先生の日がありました。これにはできる限り出席をするようにしていました。
また、卒園式、入学式にも、出席することが出来ました。仕事がハードな中、事務で現場にいた社員が結婚しましたが、知識がないまま婚姻届を提出しに行き保証人の署名がいるとの事で市役所から現場に戻ってきて、当時の次長(加古)と私(長橋)が保証人欄に署名したりもしたのも今となっては良い思い出です。
―大きなトラブルなく竣工を迎えたことで、何か自分が成長したと思えることはありますか?
長橋
入社6年目、7年目の時期に配属となったので、工事全てが勉強でしたが、仲間との接し方、工事に係わる人との良好な関係の築き方を覚えたことが、今となってはとても役に立っています。
工事が進むにつれ、任されることが多くなった時には工程に間に合うようにやりくりをすることがプレッシャーではありましたが、学んだことを生かして、仲間や関係者と一丸となれたことで、無事に竣工を迎えることができました。
―当時を思い返してみて、一番印象に残っていることはどんなことですか?
長橋
地下鉄の開業が近くなり試運転の始まった時にお客さまである営団さんに試乗会に家族揃って招待していただきました。
一般公開前で、まだ人の降り立っていない駅のホームに誰よりも早く立てたこと、新しい車両に一番に乗れたことを大変喜んでいました。その様子を見て良かったな~と改めて思いました。
また営団さんに「よくやっていただきましたね!」と声をかけていただき、大変うれしく思ったことも忘れられませんね。その他にも開業前のホームでコンサートが行われたのですが、私たちがつくった真新しい場所にふさわしい澄んだ音色が響いてとても素晴らしかったです。
余談ですが、とにかく錦糸町施工に従事した社員は年齢構成から、人柄からして申し分の無いメンバーが集結していたと思っています。時間が経てば経つほど強く感じます。だからこそ少ない人数で(あの現場の規模に対して社員の数はかなり少なかった)やり遂げることができたんだと思っています。今でも年に何回かは集まって楽しい時を過ごしています。
お客さまであった営団さんとは今でもお話しする機会がありますが、それは自分の財産です。錦糸町の工事では最後まで現場にいることができたので、モノを造ったと言う達成感が非常にありました。
―思い出の場所はありますか?また、今日この場所を訪れていかがですか?
長橋
地下鉄の開業が間近になり、地下鉄の試運転が始まり駅がきれいになっていった時はうれしかったですね。
工事が完成に近づくことは大変うれしかったのですが、土木の工事は自分の造ったものが隠れていく場合があるのが少し淋しいです。でも、普通の人ではわからない地下鉄の通路の壁の向こう側の様子まで今でもはっきりと目の中に浮かんできます。なので、自分が携わった仕事だと今でも思い返すことができるんですよ。
私は錦糸町の近くで生まれ、今でも錦糸町に住んでいるので、いまだに自分の携わった仕事を良く目にして当時の事を思い出したりしています。ここでは駅と合わせて当社施工で、駅前のロータリーと駐輪場が整備されたことで、『私たちの仕事があって人が立ち止まることのできる駅前広場に生まれ変わったのだな』と実感します。
―後輩に一言!
長橋
初めて挑戦することには不安がつきものです。任されたことであっても自分だけで終わりにするのではなく、ベテランの目を生かしてチェックしてもらってください。
忙しそうにしていても、きちんと報告をすればみなさんからの問いかけに耳を傾けてくれます。そして、自分の間違った思い込みに誰かが気づいてくれます。
その他には、現場を良く見てください。よく見ることによって仕事の順序の良し悪し、問題点等が見えてくるはずです。仕事を進める順序は人それぞれです、自分なりの考えをもつことがこだわりを生み、モノを造ったと言う達成感につながっていくのです。自分のスタイルを大切にしてください。
当時の現場の精鋭たち!!

ーこれから挑戦したいことはありますか?
長橋
私自身錦糸町の現場に携わることができて本当に良かったと思っていますが、これから関わっていく現場で同じ仕事に従事する方に、自分が感じることのできた同じ気持ちを味わってもらえるような現場作りをしていきたいと思います。
また自分自身もまだまだ勉強中ですが、自分が今まで経験した成功例、失敗例を後輩に伝えていきたいと思っています。
ー目黒さんの感想ー
インタビューで、当時現場で第一線の工夫・苦労した点の話をうかがいました。そのとき、私は長橋さんが、錦糸町の現場に対して強い思い入れがあるのを感じました。
現在私は、入社2年で仕事に余裕はないですが、自分が携った現場に対し、思い入れが持てるように仕事をしていこうと思いました。
■地下鉄11号線錦糸町駅建設工事
○施工場所 東京都墨田区江東橋3--13地先~錦糸4-6地先
○発注者 帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄株式会社)
東日本旅客鉄道株式会社
○工事概要 延長 150m / 深度 24m
路面覆工 2,700㎡ / 掘削 51,000m3
○工期 1996年3月~2003年2月